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Jan 4, 2012
@ 20:13
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今回の震災では、原発事故と電力危機、放射能による農水産物汚染、ガソリン不足と物流停滞、高齢被災者の多さ、部品工場の被災による部品供給網の寸断などが重なった。上記してきたような東北の国内における位置、および90年代以後の経緯をふまえれば、これは必然的に発生しうる事態である。これを想定外の複合災害のように東京のメディアが論じるなら、それは地震といえば関東大震災や阪神大震災のような都市型災害しか想定していなかった、無意識の東京中心主義の限界というほかない。

復興も、関東大震災や阪神大震災とは条件が違う。消費地である都市の復興と異なり、生産地の復興は、都市計画や防災を中心に論じても限界がある。また神戸は大阪に隣接して雇用もあり、経済活動の一時移転もできた。だが今回は、2030年までに人口3割減さえ予測されていた過疎地が生産基盤を失った。

復興に水をさしたくはないが、懸念されるのはいっそうの過疎化だ。グローバル資本とグローバルシティにとって、食料と労働力の供給地は東北である必要はない。20世紀の国内分業で位置を定められてきた東北は、21世紀の国際分業競争の渦中で打撃をうけた。地震と電力供給のリスクがある東北から、工場を海外へ移す動向も予想されている。町をまるごと失い、放射能におびえ、仕事と安全の未来もみえない状態が続けば、若者から先に東北を離れてゆく。この現実を直視し、日本の構造と東北の位置を変えてゆく意志を東京側も含めて共有せずには、防災都市やエコタウンの構想も新築の過疎地と財政赤字を残すだけに終わりかねず、原発に頼らない地域社会も作れない。

公共事業の投入に頼りながら、もとの産業構造を復元することを意図するのは、展望を欠いているばかりでなく、復興という意味でも効果がない。阪神大震災の5年間で被災地に投じられた橋や道路などの復興事業費7.7兆円のうち、約9割は被災地の域外に流出したと見積られている。復興・復旧事業の多くは東京や大阪に本社のある大手ゼネコンが請負い、復興事業費の多くはゼネコンを通じて都銀に還流したとみられている。

神戸の主産業は、川崎重工・三菱重工神戸造船所・神戸製鋼といった重厚長大型産業と港湾業、そして地場産業であるケミカルシューズなどの軽工業だった。1990年代以降の産業構造の転換とアジアとの競争で、重厚長大型産業の空洞化が進むなかで震災はおきた。その後、多くの企業は神戸にもどらず、港湾は釜山との競争に敗れ、ケミカルシューズは中国産品に勝てなかった。震災と産業の停滞で買い控えがおき、復興事業費が域外に流出して、商業も低迷した。1993年の日本のGDPと阪神被災地域内総生産をそれぞれ100とすると2003年の日本のGDPは105、被災地は88となっている。

造船や製鉄、港湾を中心とした1995年当時の神戸の産業構造は、東北のコメや部品工場、釜石の製鉄業とおなじく、20世紀の日本の産業構造から定着したものだ。20世紀末から進んだ産業構造の転換と国際競争のなかで、空洞化が進んでいた地域が震災などで打撃をうけると、従来から進んでいた在来産業の低迷が一気に加速するという現象がおきる。神戸経済の低迷はその結果である。

それでも前述のように、神戸は大阪に隣接していたため雇用もあり、経済活動の一時移転も可能だった。また当時の兵庫県は、1990年代以降は数少なくなっていた人口増大県であり、町並みの復興はそれなりに進んだ。だが上記のような要因のため、震災後の神戸については、大阪のベッドタウン化し、産業は衰退したとも形容されている。東北の被災地の条件はさらにきびしい。

— 「『東北』再生
赤坂 憲雄, 山内 明美, 小熊 英二